【小説】冷え性の私は、冬の寒さに恋をする

活動の軌跡

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・文字数は8000字程度

【小説】冷え性の私は、冬の寒さに恋をする

◇◇◇

季節は冬、場所は自室。
時計は深夜の1時30分になろうかという頃、
ベッドの上には仰向けで無造作に寝転がる男、つまり私の姿があった。
私にはその時間にあるべき眠気が全く訪れていなかった。

寝なければいけないのに眠気がやってこないー。

人生をそれなりに生きた者であれば、もはや誰もが通る道と言ってもいいだろう。
この悩みの前に、
ある人間は必死に意識を沈めようと頭の中で羊を跳ばし、
また、ある人間は開き直ってお菓子やカップ麺を食べ始めるのである。

多くの人間を精神的な不安と強迫観念に晒し続けてきた「眠気が来ない」という事態は、
いつもであれば私にとっても十分に憂慮すべき事だった。

そう、いつもであれば。

1時30分、今の私はそれどころではなかった。
もはや“寝れない”などの悩みとは比べ物にならないほど異常な事態が起こり、
その出来事の前に私の心はあえなく飲み込まれていたのである。

無音の世界に響く、オオオ、というエアコンの音。
深夜の静寂をどうにか埋めようと張り切っているのだろうか。その音はそれほど存在感を放っていた。

廊下からは、飼い猫が荷物の上でも歩いているのだろう、がさがさという音が聞こえる。
壁を引っ掻く癖はおさまったが、それでも暴れん坊であることには変わりない。
私によく懐く猫で、近づくといつも頭を擦り付けてくる。
だが、今は荒れた荷物を片付け、飼い猫のやんちゃを落ち着かせなだめる気力は私にはなかった。

さてこの時点で、いつもの私とは異なる自室の様子が2つあった。
いつもの私を知る人間であればぜひ言い当ててみてほしい。
出来ないのであれば早速“正解”の発表に移る。

一つ目はエアコンだ。
寒さ深まるこの季節に、本来であれば暖房を起動させているところだが、
今日に限ってはなぜか冷房のスイッチを入れている。

普段は少々の「寒さ」でも私と行動を共にしようとしてくる飼い猫も、今日は冷房で冷え切った部屋から逃げるように、廊下へと旅に出た。

なぜそんな時期に冷房を、と多くの人は首を捻るだろう。
さらに畳み掛けるようにもう一つの“正解”を発表しよう。
それは私が、下着のみという姿でこの冷気の中を過ごしているという点である。

まるで猛暑極まる夏の昼間に、自らの火照りをあの手この手で冷まそうとするかの如き行動だが、散々触れている通り今は冬の深夜である。
あるいは、次の日嫌な授業や仕事があるからと、自分の身に冷気を浴びせることでわざと風邪をひき、合法的に休もうとしているわけでもない。

常人からするともはや理解の外とも言える行動だが、
しかし私にとっては我が身に起きた異常事態をつぶさに確認しようとしているだけのことであった。

…人間として本来備わっているはずの、ある感覚が失われてしまった…

私は、激しい憔悴と不思議な高揚が入り混じる混乱の最中にあった。そうだ、これは夢に違いない。こんなことがあるはずがないー。

「…早く夢から……」

そこまで言いかけて、私はあることに気付いた。
なにがおかしいのかはわからないが、私は笑っているのだ。
あまりに突然のことで、頭の中の何かが少しおかしくなってしまったのかもしれない。
現実から逃避するかのような思考になり、少なからず気分が陽気になっている自分がいた。
自然、頭の中の言葉も朗らかになっていく。

◇◇◇

私は「寒さ」が大の苦手だった。
他の人がどの程度寒さに耐性があるのかは知らないが、少なくとも昔から冷え性の私は「寒さ」とすこぶる相性が悪い。
それはもう例えるなら犬猿の仲と言われる犬と猿のような噛み合いの悪さ。
油断すると手足の末梢という末梢が全て機能停止に追い込まれていく。とてもではないが、看過できるものではない。

少しだけ話は逸れるが、犬と猿はそんなに仲が悪いのによく一緒に鬼退治に行ったものだ、と思う。鬼を退治する前に互いを退治し合いそうなものだが、ビジネスパートナーに徹したのだろうか。
あるいは、実は描写されていない旅の道中で、互いに険悪なムードを発していたのだろうか。
板挟みとなった桃太郎とキジはとんだ災難である。いつか酒の席で互いの苦労を労ってほしい。

話は戻り、冷え性に悩まされる私について。
これが全く情け容赦なく、「寒さ」という脅威はいともたやすく両手足を蝕んでいく。
オセロ終盤で角を取られた時のように、片っ端から感覚が塗り潰されていくのだ。これには流石の私も、大人しく投了せざるを得ない。

一体なぜこんなに冷えてしまうのか甚だ疑問だが、
“おそらく前世で「寒さ」に関する徳を積みきれなかったのだろう”と妙な理屈で納得することにした。
冷蔵庫のドアを開けっぱなしにしたとか、
冷凍庫のドアを開けっぱなしにしたとか、
野菜室のドアを開けっぱなしにしたとか、
それはもう前世で「寒さ」に関する悪事を働きに働いたのだろう。
身に覚えはないが反省した私は、“今世ではちゃんとドアを閉めよう”と決意を固くした。
そうすれば、来世では「寒さ」に苦しむこともあるまい。我ながら完璧な作戦と言える。

一方の「寒さ」の方は、私のことをどう思っているのかさっぱりわからない。なにせ対話したことがないのだ。
何を考えているのかわからないし、そもそもなぜそんなに寒いのかもわからない。
「寒さ」だからといってそんなに寒くなくても良いものを。
私がもし「寒さ」だったら、イメチェン気分で時々暖かくなったりするだろう。

あるいは、もしも「寒さ」と会話ができれば、私の冷えはマシになるのだが…。
「寒さ」とコミュニケーションを図り、
「寒さ」の秘めたる想いを知り、
「寒さ」と心通わすことが出来れば…。
「頼むからもう少し手心を加えてくれ」とお願いをすることができるはずなのだ…。

聞いた話では、なんと私が幼い頃は「寒さ」を相手に話しかけたこともあるようだ。

「ねぇ、さっちゃん。いるの?」

リビングで突如、何もない壁に向かってそんなことを言ったものだから、親はずいぶんと驚いたらしい。

色々なものに対して本当に魂が宿っているかのように接する、子供ならではの感性。
よく聞くような可愛らしい話ではあるが、
にしても「寒さ」という概念に話しかけた、というのは我ながら予想を超える。
どうやって返事が貰えると想定して声をかけたのか、当時の私の頭の中を覗いてみたくなる一件である。

ちなみに“さっちゃん”という呼び名は、「寒さ」を可愛らしく呼んだものらしい、と母親が笑いながら話していた。

まあ“異性と仲良くなるには第一印象が命”と各種恋愛漫画に載っていたので、親しみやすい印象を演出しようと工夫した幼い私の戦術はあながち間違いではない。

だが当然のことながら、と言うべきか「寒さ」からの返事はなかったらしい。

とはいえ、私は子供が持つ“色々なものに魂が宿っているのでは”という説は可愛らしくて、闇雲に否定したくはない。

ともかくあらゆるものには魂があるのだ。

それは「寒さ」とて例外はない…はず。

もしかすると、「寒さ」は話しかけられるのが初めてで動揺して声が出なかったのかもしれないし、
あるいは“さっちゃん”という呼び名のせいで「寒さ」が自分のことだと認識出来ていなかった可能性もある。

つまり「声は聞こえていたけど、出てこなかっただけ」…そんな反論を脳内で構築してみるのだが、

当時の話をよくよく聞くと、リビングではガンガンに暖房を付けていたらしい。
…せめて「寒さ」が居そうな場所で名前を呼ぶべきだ、かつての私よ。

…冷え性に悩まされてきた私は昔から、こんなことばかり考えている。

◇◇◇

あれからどれほど時間が経っただろうか。
相変わらず賑やかなエアコンは、冬の寒さをこれでもかと補強するかのように冷たい空気を吐き続けている。
そして薄着にも程がある格好のまま、全身で冷気に当たり続ける私。

どこかおかしくなったかのように思われる振る舞いだが、私は必死だった。
失われたかに思える感覚が、本当はあったのだ、と安心するために。
だがそれを確認しようとするほどに、願望とは正反対の現実が浮き彫りになり、心の内から次々と憔悴が吹き出ていく。
さながらクラスで自分1人だけ体操服か何かを忘れたことに登校後気付いた小学生のように。
だが今の焦りはそれの比ではない。

少し前までのご陽気な気分は次第に吹き飛んでしまったようだった。
どれほど時間が経ったかはわからないがー(実際には2時間ほど経っており深夜の3時40分になっていた)ー、私はついに冷気にあたることをやめた。
これ以上は恐らく期待する変化は訪れないだろう。

ぐったりとした様子で静かに冷房のスイッチを切る。
仰向けのまま、宙のどこに焦点が合っているのかも定かではない体勢で言葉をただ上に泳がせる。

「…寒く、ない」

どういうわけかはわからない。
私は、
「寒さ」という感覚を失っていた。

◇◇◇

「寒さ」とは現象ではない。
例えば10度という気温を寒いと感じる人もいれば、寒くはないと感じる人もいる。

「寒さ」とは感覚だ。
感覚器がなにかに触れることで生じる、体性感覚の一種である。

そしてこれが消えるということは、神経系に異常が生じている可能性を示している。
病院で診てもらって然るべき状態にある、ということを意味するのだ。

そもそもこれは、病院へ行ってどうこう出来る類のものなのだろうか。
取り返しのつかない何かが進行しているのではないだろうか。
一体私の身体に何が起こっているんだ。

初めは何かの間違いかと思った。
今日の夜、日付が変わる辺りまでは確かに寒かったのだ。
だから私は11時30分ごろから暖房を入れ、自室を快適に保ちながら、いつも通り夜更かしに励んでいた。
深夜1時ごろ、トイレへ赴くべく廊下に出た際に私は即座に異常を感知する。

それは明らかな異変だった。
いつもなら床の冷たさ、空気の凍てつきを肌で痛いほど感じていたのに、
今日はまるで「寒さ」を感じない。

いやそもそも、足が床についていない感じすらある。これは一体。

近くを歩いていた飼い猫は、いつも以上に寒さを感じている様子だった。
普段なら擦り付いて甘えてくるのだが、今日はさっさと廊下を離れていく。

そうだ、確かに寒いはずなのだ。
なのに、なぜ私はー。
恐ろしくなった私は一瞬立ち尽くした後、すぐさま自室に戻る。

時計は1時15分をさしていた。

◇◇◇

落ち着け。人の感覚というのは、感覚器が何かに触れることで、例えば痛覚や触覚が生まれる。
冷覚もその一つだ。厳密にはこれほど気温が低くなっていると冷覚よりも痛覚が過敏に反応するのだが、
つまるところ今の私は、痛覚及び冷覚が麻痺している状態ということなのか。
感覚の麻痺。これが今の私に降りかかっているとしたら、やはり病院で診てもらうべきだろう。
もう少し様子を見ても良いが、早期発見・早期治療は予防医療の原則だ。

…だが改めて考える。
この異常事態、いま起こっているのはそんな事なのか?今起こっていることは、そんなー。

ベッドのそばに置いてある室温計を確認する。
時間や湿度も表示されるため便利で重宝している代物だ。
それを見て、内にくすぶる疑念はますます強まった。
日付が変わる前の温度をなんとなく覚えていたのだが、
今の室温と比較しても、数字に大した上下は見られなかったからだ。

つまり空気が急に暖かくなったり、猫が寒がりになったわけでもない。
私の「寒さ」という感覚だけが抜け落ちていることになる。

そもそも問題があるのは神経自体なのだろうか?
例えば自律神経がストレスで異常をきたし、暑さや寒さを感じられなくなる、という症状は確かにある。
だが体験している私だからこそわかる、これはそういう話ではない。
神経や身体の作用機序どうこうではない、全く予想もしていない何かが私の身に起こっているかのような…

つい不安な方向に思考をシフトさせそうになるも、目を閉じて活発になる頭を落ち着かせた。
少し時間を使い、状況を整理する。

消えた感覚は「寒さ」のみだ。
いや、床を踏みしめる感覚も怪しい。
痛みは感じる。暖かい空気も感じる。
暖気に関しては、心なしか鬱陶しく感じる時さえある。

…暖気を鬱陶しく感じる?これはどういうことだろう。
この冬場に冷え性の私が、「寒さ」は感じず暖かさを邪険にするなど、そんなことが…。
異常をきたしているのは、単に冷気に対しての感覚だけではないということだ。
これは果たしてどう結論付けたら良いのか。

いや、そもそも本当に、全く「寒さ」を感じないなんてことがあるのだろうか?
そんなことが唐突に、人間の身体に起こり得るのだろうか。寒さだけを一切感じなくなる疾患のリスクファクター。私は聞いたこともない。

大体私はこれが半永続的に続くものとすら考えているが、一時的に起きた身体の異常の可能性もある。
つまり少し待てば回復するかもしれない。希望はあるのだ。

まずは自分の身体に起きた問題を確かめるため、そして、その過程であわよくば消えた感覚が戻ることを祈るように、
服を脱ぎ、エアコンの冷房のスイッチを入れたのだった。

◇◇◇

3時50分、長時間にわたる冷気の実験を経て呆然となった私は、自分の感覚から「寒さ」が消えたことを受け入れざるを得なかった。
一体何が起こっている…。私は大丈夫なのか…
夢であることを願ったが、いくら待っても醒めてはくれない。
元々はトイレに行こうと廊下に出た私だったが、ヘビーな思考の末にもはやベッドから起き上がる気力は消え失せていた。

◇◇◇

絶望と悲嘆に暮れ、時間をかけてうなだれた私は、
残った気力を振り絞り自分の身体に他に異常が起こっていないかを調べることにした。
解決の糸口をどうにか見出すしかないのだ。意地でも手がかりを掴んでみせる。私は半ば自棄になっていた。

あるいは糸口なんて見出さずども、そうこうしてるうちに何かが勝手に解決してくれるかもしれない。そうだ、きっと最後にはうまくいっているはずだ。
もはや論理的な思考なんてものを組み立てる余裕はそこにはなく、
なけなしの希望に縋り付く。

早速自分の顔色や身体に変化が起こっていないかを鏡で確認するため、洗面所へと向かうことにした。
ベッドから起き上がり、廊下を進み、階段を降りる。
重たく横たわった絶望の感情とは裏腹に、身体だけは不思議と軽い気がした。
そろそろ空も明るくなってくる頃だろうか。
もしかするとこれは全て夢で、朝になると同時に目を覚ます展開かもしれない。意外と、そういう可能性は残っているはずー。

と同時に、圧倒的な苦境の中で微かな希望を見出し行動する瞬間というのはいつも、
こうした根拠のない考えが頭をよぎるものだ、と私は妙なデジャヴを感じていた。

洗面所にたどり着き、電気をつける。
自分の姿を精確に把握するための行動だったのだが、
それは意図しない自分の姿を映し出すこととなった。
鏡を見た私は、思わず動揺を声にして漏らす。

鏡に映った私の顔は、まるでホログラムのように透き通っていた。

◇◇◇

幽霊にでもなってしまったのだろうか。
あるいは、人間ならざる何かに変異を遂げている最中か。
身体が透き通っているー。
日常からかけ離れた光景に、怪異とも呼べる奇妙な結果の連続に、次第に思考から常識のタガが取れていく。

人間ならざる何かに変異を遂げるー。
それもあながち間違いではない、と知るのはこの後すぐのことだった。

視界の端に動くものがあった。
いつの間にか近くに寄ってきた飼い猫である。
今の私には飼い猫に構う余裕はなかったが、しかしその行動は注目すべきところがあった。

私のもとに駆け寄り触れようとした瞬間、毛を逆立て身震いをしたのである。
いつもであればごろごろと喉を鳴らして頭を擦り付けてくるのに、なぜ?
動物でもこの異常事態を察したというのだろうか。
確かに、野生の本能で何かを感じ取ることはあるかもしれないがー…

いや、待て。

何かがおかしい。
停止しかけた頭の中で、走馬灯のように次々と記憶を整理する。

“歩く時妙に身体が軽かった。”

“最初に私が廊下に出たと同時に、飼い猫は冷えた様子で離れていった。”

“暖房を不快に感じるようになった。”

これは…

次々と巡る記憶の中で、かつての言葉の断片が蘇る。

“私がもし、「寒さ」だったら”

まさか…。

◇◇◇

私は「寒さ」が苦手だ。

散々触れてきたことではあるが、私と「寒さ」はハブとマングースよろしく、最悪の相性を誇る。

相性の悪さというのは致命的なものだ。
例えば犬と猿ですら持て余したに違いない桃太郎が、ハブとマングースを連れて鬼退治に向かうだろうか。

そんなことをすれば、おそらく気疲れしたキジが「これ以上共演NGのコンビを増やさないで欲しいでキジ!」と桃太郎に直談判するに違いない。
それくらいセットで揃えてはいけないのが私と「寒さ」なのである。

「寒さ」を感じなくなれば良い、と思ったことは一度や二度ではない。
いやそもそも、私自身が「寒さ」になれば寒い想いをすることも無くなるのではないだろうか。

冗談めかしてではあるが、私の心の底には確かにそうした願望があった。

私自身が「寒さ」になればー…。

◇◇◇

そして今のこの状況。
鏡の中の私の顔は、いや身体は、徐々にその色を失い透過していくようだった。

そうか、私は「寒さ」になるんだー。

あまりの事態にもはや私の思考の全ては、悟りのような諦めが支配していた。

疑問は残っていた。
確かに私は、飼い主にべったりな猫をも離れさせるほどの「寒さ」を与える存在となったのだろう。
だが「寒さ」とは現象ではなく感覚だ。現象と感覚、それらは確実に非なるものである。

しかし私が今なろうとしているのは「寒さ」ではなく、単なる冷えた空気ではないだろうか。
人間でなくなる以上、もはやどちらに変異を遂げようと構わなかったが、
私は思考を続けた。

身体の透過が進んでいく。
やがて私は人ではなくなってしまうのだろう。いや、もう違う存在なのかもしれない。

感情を整理しながら考える中で、ある一つの記憶を思い出す。
まだ希望を持ち、室温計を確認したあの時の記憶が。

まだ「寒さ」の感覚を持っていた日付が変わる前も、
私の身体に異変が生じた日付が変わる後も、
室温に変化はなかったのだ。

仮に私ほどの体積を持つ冷気が長時間居座っているならば、この限りある空間の室温に一定の影響を与えていなければおかしい。

だが室温計を見るに、私は空気になんら影響を与えてはいなかった。つまり冷気ではないのだ。

一方で、猫は鋭敏に反応した。
「寒さ」という感覚を持つ、猫だけが。

私は冷気という現象になるのではない。
「寒さ」という感覚、つまり概念になるのだ。

概念になるとどうなるのか?そんなことはもう何でも良かった。
身体の8割程度が透過を終える。
いよいよといったところだろうか。

最後にして最大の疑問も残っていた。
なぜ、私は「寒さ」になるのだろうー。
これほど現実離れした出来事、当然のことながら私1人でどうこうできるものではない。
神様が気まぐれか何かで始めたのだろうか。
記憶の中にヒントがあるのかもしれないが、私にはもう振り返ることは出来なかった。

消え失せる意識の中で、離れた場所から飼い猫がこちらを不思議そうに見ていることに気付いた。
私が飼い主であるということは認識し続けているのだろうか。本当に可愛いやつだ。
最後に微笑んで手を振ってみる。猫は視線と表情を変えない。これからも遊んでもらえると思っているのかもしれない。あいつらしい。

最後に一つ、つぶやいた。

「もう寒くない…」

5時。静寂に溶けこむかのような、小さな声だった。
鏡の中にはもう、何も映ってはいなかった。

◇◇◇

◇◇◇

◇◇◇

「…さっちゃん。いるの?」

どこかから声が聞こえる。少年の声だ。

一体誰が、誰を呼ぶ声なのだろう。さっちゃんとは…?

「ねぇ、さっちゃんいないのかな?」

また声が聞こえてくる。

どうやら少年の家族と会話をしているらしい。

家族は少年の言い分を否定する。

しかし少年は、最後まで折れることはなかった。

「いるかもしれないじゃん。…きっとこの声も、聞こえてるけど出てこないだけなんだよ」

◇◇◇

私は「寒さ」を感じることは無くなったが、「寒さ」を失ったのではない。

私自身がそうなったのだ。

冷え性に悩まされることも、もう無い。

◇◇◇

【中編作品】
冷え性の私は、冬の寒さにをする
終わり

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