無欲恬澹

日記

何かを好きになれる才能

“何かを好きになること”自体が才能か、それに近いものだと私は思う

なぜならその人が“○○を好きと思う気持ち”は、私がどんなに苦労しても手に入らないから

これが例えば“能力”なら、努力次第で手に入るものもあるだろう

勉強をして運動をして会話をして栄養をとって

努力をすれば能力は人それぞれ相応に上がっていくのだと思う

一方で“何かを好きになる”のは難しい

価値観や感性を豊かにすれば“何かを好きになれる確率”は上がるのかもしれないけれど

やっぱり努力だけでは届かない

「自分は人と比べて何も良いところがなくって」という人がいる

ただ話を聞いた私からすればその人達の良いところは色々とあるように思える

その中の一つが“何かを好きになれること”だ

自分の良いところは浮かばなくても、

自分の好きなものや好きな人、「これをしている時間は楽しくて好き」、

色々な“好き”が浮かぶ人は多い

それは私からするととても貴重な才能に感じる

なぜなら何かを“好き”になることは人生を大きく、劇的に、歯止めなく豊かにするから

そして“美味しい”や“綺麗”よりも、“好き”はもっとその幅が広い
何が“好き”の対象になるかわからないしその程度や質、範囲も人によって違う

この人がこのくらい好き、あの趣味があのくらい好き、何もせずだらだらするのが好き、人には言えないようなあれこれが好き、

いろんな“好き”が人の数だけある

私には真似が出来ないそれは、あなたにしか備わっていない生きる才能なのだ

人生に意味を見出し、楽しむ、人には真似できない、まさしく才能が。

私に味わえない“好き”を堪能できるあなたが

心底羨ましいと思う

あなたがそれを「好きだ」と思う気持ちが、
多くの人に共感されるものであれば、それは多くの人と感情を分かち合うきっかけ
多くの人に共感されないものであれば、それはあなたの独自の個性であり特別な感性

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